なんでパンを焼いているのか

〈大学①〉デザインを学ぼう

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夏休みの宿題でつくった20歳の自分

 

大学では、四六時中なにかを制作していました。

とにかく先生も学生も、
デザインに対してとても真剣で熱心で、
いいものをつくると褒めてくれて、すごく嬉しかったし
手を抜いたものをつくると、しこたま怒られて、悔しかった。

絵の具にまみれ、木を削り、石膏を磨き、模型をつくって、
いっちょまえにMacを持ち歩き、
デザインに関する様々な技術を教えてもらいました。

それまでは、
デザイン=ファッションだと思っていたけど
どんな分野にでもデザインは溢れていて
デザインは問題解決の手段で、
すごい世界を学びに来たんだなと心底ワクワクした。

あるのは琵琶湖のみ
自然豊かなキャンパスで、
24時間大学でなにかをつくり続け、
先生や先輩は常々デザインについて語ってるし、
大学生になると行動範囲も広がって、
いろんなものを見に行って、
どんどん新しい価値観を知って、
センスを磨きたくて、
とにかく早く追いつきたくて、
私もなにかやらな!と必死だったころでした。

 

 

〈幼少〜高校〉自主勉ノート

 

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大阪でうまれました



小さいときから本当に、絵ばかり書いていました。

なんでこんなに絵ばかり書いていたのかは分からないけど、
ムーミン谷の家族のような両親は

幼い頃から文化的・芸術的なものをたくさん体験させてくれました。
その影響もあったのでしょう。


大きなきっかけだったのが、
小学5,6年生のころの日課だった「自主勉ノート」。

当時、百科事典や子ども向けの科学雑誌が大すきで、

文字とイラストでまとめられた
コラムのページが特にお気に入りでした。

「自主勉ノート」と銘打って、
最初は真似事で自分でも書きはじめ、
毎日毎日宿題でもないのに
ノートに自由研究をして、先生に提出していました。

内容は地球温暖化や、雲の仕組み、田植えのプロセス、アップルパイの作り方など
多岐にわたります。

絵と文字を使って何かを発信するのが楽しくて夢中でした。
それから、
ニュース部になって新聞かいたり、
中学では生徒会新聞を書いたりしていました。

自主勉ノートにびっしりうめられた絵と文字は、
今でも実家に帰省するたびに「よくぞ!」と眺める
私の人生の指針です。


高校でも、相変わらず

授業中に、ひたすらノートにイラストをかいていました。



私の通っていた高校は、
「磨け知性、輝け個性」が校訓の総合学科だったので
さまざまな分野のユニークな授業が自由に選択できました。
そのなかですごく心に残っているのが、「書画」の授業。

小さい頃から書道を10年間習っていて、
美しい字を書くことが正しい、とそれまで思っていたのですが、
早崎先生の教える書画の世界は全然違っていた。
お手本通りかくのではなく、
「生きている線」をかくことを教えてもらったということだけでも
この高校にきて本当によかったと思う。


そうこうしているうちに
あっという間に
高校3年生になって、
将来やりたいことを
具体的に決めなくてはいけなくなります。

画家になりたいわけではないけど、
できれば絵を活かした仕事につきたい。
専門学校も考えましたが、
勉強することがすきだったので、
近場の国公立の大学を調べているうちに見つけたのが
滋賀の大学の「生活デザイン学科」でした。


ムーミン谷の両親のもと育ったので、
移住食や暮らしに関わることにはもともと興味があり、
デザインならイラストを活かせそう。
オープンキャンパスに行き、
素敵なキャンパスに面白そうな授業内容に魅かれて
将来、食品のパッケージデザインとかやりたいなとかなんとか思いながら
晴れて、デザイン学生の道に進むことになったのです。

 

当時は大学選びが、
こんなに大切だとは思わなかった。
この大学のこの学科を見つけ、志望した自分に拍手!
  

なんでパンを焼いているのか

 

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大阪で生まれ育って
滋賀の大学でデザインを勉強して、
東京でひたすら漆喰を塗ったと思えば、
25歳のいま、横須賀の山の上で、
大きな薪窯でパンを毎日焼いている。

 
自分なりに
、ものすごく考えたうえで
パン屋になろうと決めたはずなのに、
不安で不安で不安でたまらなくなったので、

何を思って、何を目指して
なんで今ここでパンを焼いているのか、


自分で自分にエールを送
るために
25年間考えたことをまとめました。

大丈夫!
私は私がつくるものが大好き!